古代の吹田と寺社

ページ番号1030993 更新日 2024年3月15日

写真:古代の吹田と寺社

古代、民衆への仏教布教につとめた僧行基は、池や溝・橋や運河などを民衆の手助けを得て造立しました。彼の吹田での事績と文献に表れる寺社を概観します。

行基

行基

写真:行基菩薩像
写真/行基菩薩像(ぎょうきぼさつぞう)
原本/堺市博物館蔵

古代の吹田において大きな足跡を残した人物としては行基(668~749)の名をあげることができます。行基は、その一生を通じて民衆への仏教の布教と社会救済活動に尽力しました。民衆の手助けを得て、池・溝などの灌漑(かんがい)施設の造築や運河・橋・布施屋(ふせや)など交通設備の整備を行いました。
この画像は屏風を背に右手に如意、左手に数珠を持ち、袈裟を掛けて坐す姿で描かれ、南北朝時代頃の制作と考えられます。

古代の吹田と行基

地図:摂津国

行基は、人々のために池・溝を掘り田畑の開墾をたすけ、川に橋をかけ、各地に旅人たちが休息するための布施屋をつくり、運河を掘り、難波京を中心とした交通体系の整備を行いました。吹田周辺では、次田(吹田)堀川・垂水布施屋などの運河や旅人たちの休息所が造られました。この辺りが京や西国に通じる交通の要衝(ようしょう)であったことがわかります。また市内には行基の開創を伝える寺院がいくつか残り、現在にまでその活動の大きさを物語っています。

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