原始時代の吹田

ページ番号1030988 更新日 2024年3月14日

写真:原始時代の吹田

吹田で人々のくらしが始まるのは後期旧石器時代のことですが、その後縄文時代までは僅かな遺跡が点在するのみです。弥生時代になるといくつかの集落が現れます。垂水神社の背後の丘陵上にある垂水遺跡は市域を代表する弥生のムラです。

旧石器時代

吉志部遺跡出土石器

写真:吉志部遺跡出土石器

吉志部遺跡では、ナイフ形石器、削器、錐状石器、掻器、尖頭器などの後期旧石器時代から縄文時代草創期の石器が見つかっています。石材は二上山産のサヌカイトが主ですが、チャートも比較的多くもみられます。
近年の発掘調査で、約2万~1万5千年前頃に作られた国府型ナイフ形石器と翼状剥片が出土し、吉志部遺跡の年代を知る手がかりとなりました。

このページの先頭へ戻る

縄文時代

縄文土器(七尾瓦窯跡下層遺構)

写真:縄文土器

七尾瓦窯跡下層の炭を大量に含む黒灰色粘土層から縄文時代晩期の船橋式の土器片が一括して約40点出土しました。深鉢形土器は少なくとも3個体分あり、口縁端部付近と頸部が刻目突帯文で飾られるものと口縁部のみに刻目突帯がめぐるものがあります。胎土が暗茶褐色をした河内系土器もみられます。

このページの先頭へ戻る

弥生時代

垂水遺跡出土土器

写真:垂水遺跡出土土器

垂水遺跡では、弥生時代前期や中期の土器も出土していますが、量的には弥生時代後半が多く、その頃に集落が最も繁栄していたと考えられます。
器種には甕(かめ)、壺、鉢、高杯、器台などがあり、ミニチュアの壺や高杯もみられます。また、生駒山西麓で生産された河内系土器や近江系の土器もあり、それぞれの地域との交流を示す資料として重要です。

山田銅鐸(複製)

写真:山田銅鐸(複製)

弥生時代中期の袈裟襷文銅鐸(けさだすきもんどうたく)で外縁付鈕式に分類されます。全長は45.6cmあり、銅身は帯状の格子文で飾られ、鰭(ひれ)には3対の耳も表現されています。
山田銅鐸は明治11年に現在の万博記念競技場付近で出土しました。出土地の東方2.5kmには、銅鐸の生産をもつムラであった東奈良遺跡(茨木市)があり、その関係が注目されます。原資料は耕三寺博物館(広島県)の所蔵品です。

このページの先頭へ戻る