人&ライフ〔市報すいた 令和6年(2024年)10月号〕
ページ番号1036513 更新日 2024年9月30日
プロバスケットボール選手 大阪エヴェッサ在籍 竹内譲次さん(39歳、吹田市出身)
進化を続けるビッグマン
大阪市を拠点に活動するプロバスケットボールチーム「大阪エヴェッサ」。おおきにアリーナ舞洲のコート内でひときわ存在感を放つのが、身長2メートルを超える竹内譲次選手だ。
全国制覇、日本代表と、常にトップを走ってきた竹内選手が本格的にバスケを始めたのは、佐井寺中学校に入学してから。当時すでに176センチメートルと高身長だったこともあり、熱心な勧誘を受け、バスケ部に入部した。走り込み中心の一学期を経た夏休み、初めてフルコートで練習できるようになり、バスケの面白さにのめり込んだ。部活以外でも時間を見つけては、バスケリングのある近所の紫金山公園や片山市民体育館で、双子の兄・公輔さんたちと練習に励んだ。中学3年生の時、数あるスカウトの中から洛南高校への進学を決めたのは、父の一言だった。
『将来、第一線でプレーをしたいなら、バスケのレベルが高い大学への進学率も見据えて高校を選んだほうがいいんじゃないか』トップリーグでバスケをしたいという将来のビジョンが見えた瞬間で、この選択が、人生のターニングポイントとなった。
洛南高校は全国大会の常連校。日本各地から集結したトッププレイヤーと練習する日々は刺激的で、片道1時間の通学も苦にならなかった。毎朝6時台の電車に乗り、帰宅は夜の9時を回ったが、上達したい一心で部活に打ち込んだ。高校ラストイヤーには、これまで何度も目の前に立ちふさがってきた強敵、能代工業高校に勝利。全国制覇を果たした。
その実力やポテンシャルが認められ、大学進学後は18歳という当時最年少の若さで日本代表に抜擢。世界の舞台へ駆け上がる。海外から招聘された監督は厳しく「なんで自分ばかり」と思うこともあったが、それ以上に、自身のことを学生ではなく“いちアスリート”として扱ってくれる気持ちがうれしかった。『現状に満足せず、常に向上心を持て』と言われた言葉に今も突き動かされている。
3年前、大阪エヴェッサからオファーを受け移籍した。ちょうど自身のプレーに停滞を感じていた時期で、自分が納得いくまでやり切りたいと考えた結果、環境を変える決断をした。移籍後は、運営スタッフやスポンサーなど、裏側で支える人たちの努力があって、バスケに打ち込める環境があると実感でき、視野が広がった。「バスケに出会えたから今の自分があり、バスケが人生を豊かにしてくれた。選手としてやり切った後も、バスケに関わっていきたい」と真摯に話す。来年で40歳。飽くなき向上心を胸に、これからも竹内選手は挑戦し続ける。
2023-24シーズン、キャプテンとしてチームを率いた竹内選手。「バスケの魅力は、展開の速さ。テンポよく得点が積み重なっていくので試合の結末が最後まで分からない。そのハラハラ感をぜひ見に来てほしい」