千里石ぶみの丘 歌碑・石碑の紹介(柳原白蓮歌碑、楓橋夜泊中唐・張継詩碑、吹田くわいの碑 鈴木葩光書)

ページ番号1009795 更新日 2022年8月31日

千里南公園に設置されている、歌碑・石碑を紹介します。

柳原白蓮(明治18~昭和42年)歌碑

柳原白蓮の歌碑の写真


和田津海の沖に火もゆる火の国に
われあり誰ぞやおもわれ人は

白蓮は明治十八年(1885)柳原前光の娘として生れた。北大路資武と離婚した後、九州の富豪伊藤伝右衛門に嫁し、その美貌と才気と文筆により「筑紫の女王」と謳われたが、大正10年、社会運動家宮崎竜介と恋愛結婚をした。
竜介の活動を助けながら歌集「踏絵」やいばら「幻の華」などのほか、自伝小説「荊棘」を出している。作歌としては、「踏絵もてためさるる日の来しごとも歌反故いだき立てる火の前おもいきや月も流転の影ぞかしわがこしかたに何をなげかむ」がよく白蓮の生涯を語っている。

楓橋夜泊中唐・張継詩碑

張継の詩碑の写真


月落烏啼霜満天
江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘声到客船

月落ち烏(からす)啼(な)いて霜(しも)天に満つ。
江楓漁火(こうふうぎょか)愁眠に対す。
姑蘇(こそ)城外の寒山寺。
夜半の鐘声(しょうせい)客船に到る。

張継はこの詩(七言絶句)によって有名。しっとりとした旅愁をうたって優れています。

「楓橋」は江蘇省蘇州の西郊、楓江に架けられた橋。
「夜泊」は夜船に泊まること。
「江楓」は川岸の楓、「江村」になっているテキストもあります。

張継は中国湖北省の人。生年はわからないが、天宝十二年(753)進士の試験に合格し、大暦年間(766~9)になって唐の朝廷に仕へ「検校祠部郎中」の職についている。博識で議論好きな性格を持ち、政治家としても立派な仕事をして名声を博した。
詩集一巻があり、四十七首の詩が伝わる。碑文の揮毫者は清国末期の人、兪越である。

吹田くわいの碑(巻10国歌大観番号1839) 鈴木葩光書

吹田くわいの碑の写真


君がため山田の沢にゑぐ採むと
雪消の水に裳の裾ぬれぬ

と詠まれている「ゑぐ」は、おもだか科の植物と考えられ、吹田くわいはおもだかの根が大きくなった変種ですから、万葉の時代にも歌われていたでしょう。

吹田くわいの説明看板の写真


思いでる鱧(はも)の骨切りすり流し
すいたくわいに天王寺蕪

これは江戸後期の幕史で、狂歌師・戯作者として有名な太田南畝(寛延2~文政6年、別号、蜀山人・四方赤人)が大坂で食べた上方料理のうまさを回想した狂歌です。

「すいたくわい」は、『摂陽群談』『摂津名所図絵』『五畿内志』などにも紹介され、『大坂名物番付』には関脇になっています。京都の御所にも毎年献上され、貴人に賞味されました。
学名は牧野富太郎博士(文久2~昭和32年)の命名で、Sagittaria triforia L-forma Suitensis Makino といいます。「スイテンシス」は吹田に産するという意味です。
普通、「くわい」は奈良時代に唐から輸入されたものですが、「すいたくわい」は日本古来の植物です。
「すいたくわい」は、お正月には鴨型の藁苞(わらづと)で贈物にされていました。

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