千里石ぶみの丘 歌碑・石碑の紹介(松尾芭蕉句碑、小林一茶句碑、加賀の千代女句碑)
ページ番号1009793 更新日 2022年8月31日
千里南公園に設置されている、歌碑・石碑を紹介します。
松尾芭蕉(正保1~元録7年)句碑 (真筆)
ふる池や 蛙飛込む 水のおと
芭蕉は正保元年(1644)伊賀(三重県)上野に生れ、はじめ藤堂家に仕えたが、二十八歳の時江戸に下り、深川に芭蕉庵を営んで俳諧風雅の道に精進すること十年、蕉風を確立し俳諧の革新をなしとげた。
行脚漂泊を第一義として生涯を行旅の中に終始し、大阪の「花屋」で客死するまでに「おくのほそみち」をはじめとする多くの紀行文を発表している。
貞享3年作。句集『春の日』所収。
『庵桜』に二句「飛ンだる」、『暁山集』に初句「山吹や」となっています。句の成立については各務支考著『葛の松原』(元録5年刊行)にくわしくみえます。季語は「蛙」で、春。
伊丹市の柿衛文庫にこの句の芭蕉真蹟短冊があります。
小林一茶(宝暦13~文政10年)句碑 (真筆)
痩せ蛙 まけるな一茶 是にあり
一茶は宝暦十三年(1763)信濃(長野県)に生れ、はやくより江戸にでて竹阿に俳諧を学んだ。父の死後異母兄弟との争い、三男一女の早死・晩年の位居焼失などにあい不遇のうちに一生を過した。
そのためか強者に対する反抗心と弱者に対する同情心が強く、野性に富み、主観的傾向の強さから奇警な目をもって眺めた作句が多く、文化・文政期の俳壇の異色的存在となった。
「おらが春」「七番日記」などを残して雪深い信濃柏原で死んだ。
文化13年(1816)の作。前書きに「武蔵の国竹の塚といふに、蛙のたたかひありける、見にまかる。4月廾日なりける」とあります。
「やれ打つな蠅が手を摺り足を摺る」
「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」
とともに哀憐の句として著名。
加賀の千代女(元録16~安永4年) 句碑 (真筆)
あさがほに 釣瓶とられて もらひ水
千代は元禄十六年(1703)の生まれで、加賀(石川県)松任の人。五十一歳の時出家して素園と号した。作風は素朴で女流俳人として有名。「千代尼句集」があり、
「夕顔に女の肌のみゆる時 起きてみつ 寝てみつ 蚊帳の広さかな」
「蜻蛉つり 今日はどこまで行ったやら」
など千代らしい作品が伝えられている。
季語は「朝顔」で、『歳時記』では秋の植物に分類されています。
一夜のうちに蔓を伸ばした朝顔が、井戸の釣瓶に絡みついて水を汲めない。蔓をほどくのがかわいそうで、隣の家に水を貰いに行くという、女性らしい心情を詠んだ句。四如軒の絵に千代自身が賛したものには、初句「朝顔や」とあります。
評判の作品に、
「起きて見つ 寝て見つ 蚊帳のひろさかな」
「蜻蛉つり 今日はどこまで行ったやら」
があります。
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