千里石ぶみの丘 歌碑・石碑の紹介(万葉歌碑)
ページ番号1009791 更新日 2022年8月31日
千里南公園に設置されている、歌碑・石碑を紹介します。
万葉歌碑(巻1国歌大観番号20)花田峰堂先生筆
茜草指武良前野逝標野行
野守者不見哉君之袖布流
原文で彫られていますが、訓みは、
「茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」でしょう。
「天皇蒲生野に遊猟せられた時、額田女王の作られた歌」と詞書にあります。
天智天皇7年(668) 5月5日近江国蒲生野(滋賀県八日市市)に狩猟された時の作です。
折口信夫博士の『口訳萬葉集』(中公文庫所収)に
「紫草の花の咲いてゐる野、即、天子の御料の野を通って、我がなつかしい君が袖を振って、私に思ふ心を示してゐられる。あの優美な御姿を、心なき野守も見てはどうだ。」と訳されています。
あかねさすむらさきのいきしめのいき
のもりはみずやきみがそでふる
と読んだこの歌には次のような返歌があります。
むらさきのにおえるいもをにくくあらばひとづまゆえにわれこいめやも
万葉歌碑(巻12国歌大観番号3025)
万葉集巻十二「物に寄せて思を陳べたる歌一百五十首」の中に集録されています。
歌を詠んだ人はわかりません。
石走る垂水の水の愛しきやし(いわばしるたるみのみずのはしけやし)
君に恋ふらくわが情から(きみにこうらくわがこころから)
原文には、
石走垂水之水能早敷八師
君尓恋良久吾情柄
とあります。
岩を走り、したたる水のように、
愛すべき君に恋うことは、わたしの心のゆえです。武田祐吉博士訳
岩の上を激しく流れる、瀧の水のように、
激しくいとしい方に、焦れて、焦れて居ることだ。自分の心の所為で。折口信夫博士訳
万葉歌碑(巻20国歌大観番号4425)
防人に行くは誰が夫と問ふ人を
見るが羨しさ物思もせず
「昔年の防人の歌八首」の一首で、原文(万葉仮名)には、
佐伎毛利尓由久波多我世登刀布比登乎
美流我登毛之佐毛之母比毛世受
とあります。
防人にゆくのは、どこの男と問う人を見るのがうらやましい。
物思いもしないで。武田祐吉博士訳
あの防人となって行く中の、あの人は誰の旦那だろう、と見物の中にまじった人が、問うているのをば見るのが、羡しいことだ。あゝした気楽な気持ちになりたいものだ。わたしは、自分の夫を行かせるのに。折口信夫博士訳
防人は、古代、唐・新羅の侵攻を防御するために筑紫・対馬・壱岐に3年交替で派遣された兵士ですが、天平2年(730)から東国地方の者に限るようになりました。東国の兵士とその家族が詠んだ歌が防人歌で、『万葉集』巻13・14・20に約100首を収めています。
ことに巻20には孝謙天皇の天平勝宝7年(755)に召された遠江国(静岡県)以東の国々の防人歌が84首も入っています。これは、兵部少輔として難波国(大阪)にあって防人事務を担当していた大伴家持(養老元?~延暦4年)の採録によるものです。
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