吹田市の沿革

ページ番号1012273 更新日 2022年9月21日

1940-1949

沿革写真1
市制施行当時の市庁舎

昭和15年「吹田市」誕生
戦争から終戦、そして復興へ

昭和15年(1940年)4月1日に三島郡吹田町、千里村、岸部村、豊能郡豊津村の4町村が合併し「吹田市」が誕生。
翌年には太平洋戦争がはじまり、市民生活は戦時体制一色に。昭和20年(1945年)6月には吹田操車場、吹田駅周辺、豊津、片山町の一部などが空襲を受け、そして8月15日の終戦。
戦後は新制教育や自治体警察、自治体消防の発足があり、市では上水道の増強や市営住宅の増強などを推進しました。

1950-1959

沿革写真2
当時の新田地区

新しい時代へ向かい発展への基礎づくり

吹田市は独自の中都市建設を目指し、三島郡新田村の下新田地区と三島郡山田村を合併し、ほぼ現在の市域を確定。
この地域が千里ニュータウンや万博、大学用地として新しい時代の礎となりました。
昭和28年(1953年)には市民病院が完成、そして昭和31年(1956年)には初期の公団住宅である千里山団地が完成しました。
また下水道整備、し尿化学処理場の建設などが始まりました。

1960-1969

沿革写真3
千里ニュータウンの入居が開始

経済成長とともに都市計画が進む

昭和35年(1960年)に千里ニュータウンの事業計画が発表され、佐竹台地区での入居が昭和37年(1962年)からスタート。
昭和40年(1965年)には万博の開催が決定し、地下鉄御堂筋線の延長が具体化。昭和45年(1970年)には吹田操車場の地下をくぐる豊中岸部線の開通をはじめ、中国自動車道や名神高速道路吹田インターの完成など、万博開催に向けて交通体系が整備されました。

1970-1979

沿革写真4
万国博の開会式

万国博開催を契機にまちづくりを推進

昭和45年(1970年)3月に万博が開催。6421万人の入場者を記録し、吹田市の存在を大きくアピール。昭和47年(1972年)には老人医療費の無料化、乳幼児保育の案施、公害問題や消費者問題など、福祉や民生面での取り組みを開始。
また千里二ュータウンと万博公園内の諸施設が完成し、昭和54年(1979年)にはJR吹田駅前再開発事業が完成するなど、積極的なまちづくりを推進。

1980-1989

沿革写真5
総合福祉会館オープン
(1987年)

豊かなふれあいと
平和・健康を願うまちづくり

国立循環器病センターや休日急病診療所に加え、昭和57年(1982年)には新市民病院が完成するなど医療施設がますます充実。また同年にスリランカ・モラトワ市と、平成元年(1989年)にはオーストラリア・バンクスタウン市と友好都市提携を調印。
昭和58年(1983年)には市民意職の高まりとともに非核平和都市、健康づくり都市を宣言しました

1990-1999

沿革写真6
市制50周年記念事業の開会式

21世紀を見据え、地域文化に
根ざしたまちづくりを推進

平成4年(1992年)に、リサイクルの中核施設となる資源リサイクルセンターが完成。同年には、武道館「洗心館」と博物館も完成しました。
平成9年(1997年)に「なみはや国体」が開催されるなど、循環型社会を見据え、地域文化に根ざした魅力あふれるまちづくりを推進しました。

2000-2009

沿革写真7
消防本部・西消防署
合同庁舎が完成

にぎわいと安心・安全の
美しい都市(まち)創造の推進

平成12年(2000年)には市制施行60周年を迎えました。21世紀に入り、平成13年4月に特例市に移行。同年7月には市役所本庁舎が「ISO14001」認証を取得しました。
平成18年(2006年)には、消防本部・西消防署合同庁舎が完成するなど、誰もが安心して暮らせる都市を創造していきます。

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