宮殿の瓦を焼く

ページ番号1031004 更新日 2024年3月14日

写真:宮殿の瓦を焼く

古墳時代以来の須恵器生産技術を受け継ぎ、吹田の地には宮都造営のための造瓦工場がありました。後期難波宮の瓦を焼いた七尾瓦窯、平安宮の瓦を焼いた吉志部瓦窯です。いずれも国指定史跡で、窯の原寸模型、出土品を展示しています。

七尾瓦窯跡

七尾瓦窯跡出土軒瓦

写真:七尾瓦窯跡出土軒瓦

軒丸瓦は難波宮6303型式と同笵で、内区が著しく突出し、細長い複弁となっています。中房はやや隆起し、蓮子が全体的に偏って不均等に配置されています。
軒平瓦は左側にやや開き加減の花頭を中心飾りとし、その左右には3回反転する唐草紋を描いていており、七尾では6664A型式軒平瓦もわずかながら生産されました。難波宮6664B型式軒平瓦と同笵です。

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吉志部瓦窯跡

吉志部瓦窯跡出土軒瓦

写真:吉志部瓦窯跡出土軒瓦1

写真:吉志部瓦窯跡出土軒瓦2

吉志部瓦窯で作られた軒瓦には蓮華紋軒丸瓦が6種類、唐草紋軒平瓦が5種類あります。この他に丸瓦や平瓦、さらに緑釉瓦が生産されていました。瓦の供給先は平安宮が主体ですが、市内の垂水南遺跡や高浜神社、枚方市百済寺跡、茨木市新庄遺跡などでも吉志部瓦窯産の瓦が出土し、淀川・三国川(安威川・神崎川)とその支流域に点在しています。

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