春日地域

ページ番号1031117 更新日 2024年3月1日

モデルコース 徒歩3km

北大阪急行桃山台駅→春日大池→春日神社→地現地蔵→西照寺→下新田新道記念碑→北大阪急行緑地公園駅

地図:春日地域

地図:春日周辺図


西照寺

(春日1-6-18)

元禄5(1692)年の記録に「寛永8(1631)年門徒共」開基とあり、寺は下新田村が成立して間もない頃に開かれたとみられます。ただ、寛永14(1637)年の記録には「惣道場」と記載され、まだ西照寺とはいわなかったようです。元禄5年には西照寺と記録されていますから、本尊が授与されたという延宝7(1679)年に西照寺と名乗ることが許されたのではないでしょうか。村の成立とともに、浄土真宗寺院が村の道場から始まり、やがて本尊をうけて寺となっていくという真宗寺院成立の過程を伝えています。

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下新田新道記念碑

下新田村は山あいの盆地を開墾して成立した村であったため、他村へ行くには山を越える道や高川沿いの道をとっていました。これらの道は人がやっと通ることができる程度の細い道であったといいます。大正から昭和初期の千里山地域の開発や鉄道の敷設に刺激され、下新田村発展の契機とするため、昭和4(1929)年に千里山へ抜ける新道がつけられることになりました。この碑からは、他地域に出るのが難しいという村の立地状況のなか、人力による難工事にもかかわらず多くの苦難を乗り越えてつけられた新道に村の発展を託した人々の気持ちがよみとれます。

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春日の地蔵(地現地蔵)

(春日1-14)

この6体の石仏は、嘉永2(1849)年に5月の大雨の時、水田から掘り出されたといいます。四方講という地蔵を祀る組織がつくられ、現在は春日地蔵講と名が改められて、お祀りを続けています。嘉永2年に掘り出された経緯を記す文書、安政6(1859)年にお堂の敷地が講に譲り渡された文書などが残され、地蔵を祀る講組織のことがわかります。現在も年番制で「トヤ(トウヤ)」という、その年のお祀りを主宰する2家が決められ、毎年8月24日に地蔵盆と盆踊りを行っています。かつてはトヤが文書や祭具を納めた木箱を保管したといいます。

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春日神社

(春日3-16)

下新田村の産土神で、昭和28(1953)年に下新田村が吹田市との合併にあたり、この神社の名前にちなんで旧下新田の地域を春日としたといいます。春日神社は元禄5(1692)年の記録によって、慶安元(1648)年の勧請であることがわかります。伝承では下新田村の開墾が主として佐井寺村の人によって行われたことから、佐井寺村の氏神を勧請したため、春日明神を祀るようになったといわれています。境内では、かつて日照りが続くと村人が集まり雨乞いを行ったといいます。

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春日大池

春日町は、かつて下新田村と呼ばれ、新たに開発されて成立した村です。開発は江戸時代初め頃から山田村や佐井寺村の人々によって徐々に行われていたともいわれ、寛永3(1626)年に山田村・上・下両新田村の境界が決められ下新田村が成立しました。山林を切り開いての開発であったため水の確保に苦労したようで、灌漑はため池に頼らざるを得ませんでした。現在の春日大池は「字玉子谷溜」と古文書にあるため池と推定され、既に寛保3年(1743)には存在していたようです。こうしたため池は明治中頃までに200カ所を越えたといわれ、田畑の開発と水の確保に努力した村人の願いを今に伝えています。

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地域教育部 文化財保護課
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