1.吹田市の概要(吹田市第4次総合計画 基本構想:3.策定の背景)

ページ番号1008617  更新日 2022年9月21日

(1)位置・地勢

本市は、大阪府の北部に位置し、東は茨木市及び摂津市、西は豊中市、南は大阪市、北は箕面市に接しており、東西6.3km、南北9.6km、面積は36.09平方キロメートルを占めています。
地勢としては、北部は北摂山系を背景として標高20mから116mのなだらかな千里丘陵、南部は安威川、神崎川、淀川のつくる標高10mほどの低地から形成されています。

(2)市の沿革

市域では、水に恵まれた土地であったことを背景にかなり古くから生活が営まれ、さまざまな文化が育まれてきました。明治9年(1876年)の大阪・向日町間の官営鉄道の開通を機に発展が始まり、明治22年(1889年)の有限責任大阪麦酒会社(現アサヒビール株式会社)の設立、大正12年(1923年)の国鉄吹田操車場の操業開始により、「ビールと操車場のまち」といわれるようになりました。
また、大正10年(1921年)には北大阪電気鉄道(現阪急電鉄)の十三・千里山間も開通し、大阪市の商工業の発展に伴い、近郊住宅地として市街化が進展してきました。
昭和15年(1940年)には吹田町が隣接する千里村、岸部村、豊津村と合併し、吹田市として市制が施行され、昭和28年(1953年)には新田村の下新田地区と、昭和30年(1955年)には山田村と合併し、ほぼ現在の市域となりました。
昭和30年代の高度経済成長期に入ってからは、千里ニュータウンの建設をはじめとした宅地開発とそれに伴う都市基盤の整備が進み、人口が急激に増加しました。昭和45年(1970年)には「人類の進歩と調和」をテーマに日本万国博覧会が開催され、本市の存在を広く知らしめました。この博覧会に関連して広域幹線道路や鉄道網をはじめとする都市基盤が整備され、これに伴い大阪都心と直結された江坂地区においては、企業などの集積が進みました。現在は、市域のほぼ全域に市街地が広がり、都市基盤が整った状況にあります。

(3)都市宣言

本市では、3つの都市宣言を行っており、まちづくりの基本としています。

  1. 非核平和都市宣言-昭和58年(1983年)8月
    人類共通の願いである恒久平和の実現と核兵器の廃絶を願い、非核平和都市であることを宣言しています。
  2. 健康づくり都市宣言-昭和58年(1983年)10月
    健康は、心ゆたかで活力に満ち充実した生活を営むための市民共通のねがいとし、市民の理解と参加を得て、健康づくり都市の実現に向けて取り組むことを宣言しています。
  3. 安心安全の都市(まち)づくり宣言-平成20年(2008年)3月
    市民、企業、行政が力を合わせて、安心してくらすことのできる安全なまち、いつまでも誇りをもって住み続けたいと思えるまちをめざし、取り組むことを宣言しています。

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