ようこそ平和祈念資料館ライブラリーへ 平和祈念資料館の図書の紹介(2021年)

ページ番号1006392 更新日 2022年9月21日

平和祈念資料館には、約4,000冊を超える広く「平和」に関する書籍を所蔵しています。
平和祈念資料館の職員がお勧めする本や、ぜひ読んでいただきたい本を紹介していきますので、ぜひご利用ください。

12月

『プーさんとであった日』世界でいちばんゆうめいなクマのほんとうにあったお話

ぶん リンジ―・マティック
え ソフィー・ブラッコール
やく 山口 文生
評論社

くまのプーさんの名前の元になったクマのお話です。
1914年(大正3年)第一次世界大戦の頃、カナダに住む獣医師が戦地に向かう途中、一匹のコグマに出会いました。
彼はコグマを汽車にのせ、戦争の訓練地に連れていきます。コグマはたくさんの兵士たちを癒し、愛され、最初はコグマを連れていくことに反対していた連隊長にも認められます。
やがて訓練は終わり、戦場に向かうと決まった時、獣医師はコグマを安全なロンドン動物園に預けることを決意します。
ここから、新しい人々との出会いによってコグマの運命は変わっていきます。
兵士とともに生活し、兵士を癒したクマというだけでも珍しいのに、このクマがその後、プーさんと呼ばれるようになるまでどのような出来事があったのか、ぜひ、手に取って確かめてください。戦争中の人間と動物との出会いの心あたたまる実話を元にした絵本です。

11月

『戦下のレシピ』 太平洋戦争下の食を知る

斎藤 美奈子著
岩波アクティブ新書

今回ご紹介するのは「戦下のレシピ」という本です。
この本は、婦人雑誌に載った料理の作り方を通して、戦争中の日本の「食」と「レシピ」について書かれた本です。
巻頭には、レシピの再現料理や食べられる野草のカラー写真が載っています。
本文は上下二段構成になっており、上段が当時の食糧事情とその背景、下段が雑誌に掲載されたレシピになっています。テンポのよい、明快な文章で書かれていて、例えば目次もこのような感じです。

  • 米とうどんのアクロバット
  • 戦争末期はサバイバル
  • いもとかぼちゃの下剋上

また、なぜ戦争は食糧難をまねくのかについて「すべての産業に軍需が優先するから」と「輸送の問題」と分析しています。
工場はことごとく軍需工場に転業させられ、そこで戦地に行かない男女が働く、そのことによって、農村の人出が手薄になります。そして経済封鎖や海上封鎖で物資の輸入ができないことや、アメリカの対日石油輸出の禁止などで、燃料がない状態になってしまったということです。
最後に著者は、「戦争の影響で食糧がなくなるのではない。食糧がなくなることが戦争なのだ」と書いています。

来館者の方から「戦争中こんなものを食べた」「芋しかなかったけど、母がこんな料理を作ってくれた」と食べ物についてのお話をお聞きする機会があります。
この本を読んで、お話だけではイメージがわかなかった部分がわかったような気がします。
筆者は、「いつもあなたが読んでいる料理雑誌やグルメガイドのようなつもりで読んでもらえたらと思う。」と書いています。
ぜひそのような気持ちで手に取っていただきたいと思います。

10月

『ぼくは戦争は大きらい やなせたかしの平和への思い』

やなせたかし著
小学館クリエイティブ

この本は、『アンパンマン』の作者である、やなせたかしさんのインタビューをまとめたものです。
やなせさんの戦争体験、軍隊体験がユーモアを交えた語り口調で綴られており、若者に戦争の悲惨な体験をさせてはいけないというメッセージが伝わってきます。
やなせさんの代表作となった『アンパンマン』の主人公がお腹を空かせている人に自分の顔を食べさせてあげるのは、戦時中のひもじさが最もつらかったというご自身の体験がもとになっているそうです。
2歳下の弟さんを22歳の若さで失い、戦争のことは思い出したくもないとおっしゃていたやなせさんがなぜお話をする気になったのか、それについては「はじめに」のところに「人間は過去を忘れてしまうと同じ失敗を繰り返す生き物です」と書かれています。
本の終わりに、今後どうすれば戦争をしない世の中を作っていけるかの祈りが込められていますので、ぜひ最後のページまで目を通してみてください。

なんのためにうまれて なにをしていきるのか
そうだ うれしいんだ いきるよろこび
(作詞 やなせたかし)

子供たちが自然に口ずさんでいるやなせさん作詞の『アンパンマンのマーチ』は、戦争を体験したやなせさんから後世の人々への永遠のメッセージ込められているのだと、改めて気付かされました。
また余談ですが、『手のひらを太陽に』の作詞もやなせさんです。やなせさんの中に流れている大きなテーマは「生きる」ということです。
子供から大人まで、皆の心に今も在り続けるやなせさんのことばに、どうぞ触れてみて下さい。

9月

『みどりのトカゲとあかいながしかく』

作・絵スティーブ・アントニー
訳吉上恭太
株式会社徳間書店

タイトル通りの緑と赤の鮮やかな表紙の絵本です。
ページをめくると、「みどりのトカゲとあかいながしかくはたたかっていた。」という文章があります。
戦いの理由は書かれていませんが、みどり色の多数のトカゲと、赤色のさまざまな大きさのながしかくは、戦っていました。攻め込んだり、押し返したり、「トカゲとながしかくのたたかい」はなかなか激しく、それぞれの優勢劣勢によってページがほぼ緑色になったり、赤色になったりしています。
そして一匹のトカゲの「ねえ、なんのためにたたかっていいるの?」という言葉で、さらに状況は変わっていきました。
どうしてトカゲとながしかくは戦わないといけなかったのか。
この戦いにはどういう結末が待っているのか。
ぜひ、手に取ってご覧いただければと思います。
数分の時間で、はっとした気持ちになったり、なにかほっこりした気分にも、なっていただけるのではないでしょうか。
この絵本は、子どもたちにも読んでもらいたい、戦うことのむなしさを絵で伝えている1冊です。
絵本に登場する多数のトカゲはいろいろな表情をしています。
絵本の最後に、裏表紙の5匹のトカゲと、裏表紙の裏の1匹のトカゲの表情もぜひ見ていただきたいと思います。

8月

『知覧からの手紙』

著者:水口 文乃
出版:新潮社

この本は、戦時下の一組の恋人たちのノンフィクションです。
伊達(旧姓:孫田) 智恵子さん(17歳)と穴沢 利夫さん(19歳)のお二人が出会ったのは、昭和16年(1941年)7月21日でした。
そして、穴沢さんが特攻出撃で帰らぬ人となったのは、昭和20年(1945年)4月12日でした。
やがて84歳になった智恵子さんは、この4年間と戦後の出来事を著者に語り、この本が出来ました。
海外にあこがれ、自立した女性を目指す智恵子さんは、女学校卒業後、司書資格を取るための実習先で大学生の利夫さんと出会います。
智恵子さんの記憶は鮮明で、手紙、日記、写真なども残されており、2人の出会いから、交際、婚約、特攻出撃、戦後に至るまでが詳細に描かれています。
この本は、お二人の話だけでなく、若い職業婦人からみた当時の生活が描かれていて、とても興味深いです。
旅行や通勤の様子から、交通事情や東京と地方の違いがわかります。食べるものでは、出会った当時はカレー、グラタンにアイスクリームもあったのに、昭和19年(1944年)のお正月は、野菜の切れ端の入ったような雑炊しか食べられないと書いていて、食生活が苦しくなっていく当時の様子がよくわかります。読みやすい作品ですので、一度手に取ってご覧ください。

7月

『戦争と漫才』

解説:藤田富美恵
出版社:新風書房

戦争中、戦地の兵隊さんに送る慰問袋というのがあったのはご存知でしょうか?
この本に掲載されているのは「読んだその手で慰問袋へ」というキャッチコピーで大阪パックという出版社から当時十銭で販売されていた漫才の台本です。慰問袋の中身として人気だったのは、キャラメル・氷砂糖・タバコ・内地の新聞などだったそうですが、かさばらない雑誌というのも入れることができたそうです。
カラー表紙には当時人気だった芸人さんの親しみやすい似顔絵や名前が出ていて、内地の人のみならず、遥か故郷を離れた兵隊さんも、それを手に取っただけで心和む一冊だっただろうと思えます。
解説文を寄稿されている藤田富美恵さんは、「上方漫才の父」として戦後も活躍された秋田實氏の娘さんで、ご自身の記憶や、秋田氏が残された資料をもとに当時の時局やお父様の気持ちをお書きになっています。
満州事変、日中戦争と戦局がひっ迫するにしたがい、国は庶民の生活をどんどん窮屈なものにしていきました。戦意高揚に反するものに対しては厳しい検閲が入り、寄席でも、警察官や憲兵が台本と違っていないかを監視し、少しでも違っていたりすると始末書や叱責という処分があったそうです。
そのような検閲とのせめぎあいの中、言葉の言い回しや洒落を織り込むことで少しでも笑いに変えようとする絶妙な匙加減に、作者の力量を感じます。
台本部分は旧仮名遣いで多少読みづらいかと思いますが、当時そのままの雰囲気もぜひ味わってください。

3月

『焼けあとのおにぎり』

作うるしばらともよし
絵よしだるみ
株式会社国土社

東京の家族と離れ、福島の祖母のもとに疎開している小学6年生のキヨシが主人公のこのお話は1945年の8月から始まります。
ラジオで戦争が終わったことを知ったキヨシは、家族を探しに東京に行きたいと祖母にお願いします。祖母は最初、小学生のキヨシが一人で東京に行くことに反対していましたが、キヨシの熱意に負けて東京行きを承諾し、苦労して東京行きの切符と5個のおにぎりを用意してくれました。おにぎりは、疎開中のキヨシでも長い間食べていない真っ白な米で作られていました。
終戦間もない焼けあとの東京で、家族を探すことは簡単なことではありません。
また食べ物が不足している時代、キヨシの持つ5個のおにぎりは、それを無理やり奪おうとする少年や、やせ細った元同級生など、焼けあとで出会った人たちの生活の厳しさや悲しさを次々に浮き彫りにしていきます。
キヨシが焼けあとの町で何を見つけるのか、おにぎりは何を気づかせ、5個目のおにぎりをキヨシはどこでどんな気持ちで食べるのか、混乱した時代を知ることで、現在の「平和」について考えていただければと思います。

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